インターネット座談会
音響家の値打ち
石丸耕一(東京芸術劇場)
及川公生(フリーランス)
新谷美樹夫(L.F.I)
御坊田裕康(株式会社ラフ・ミュージック)
山本能久(株式会社SEシステム)
八板賢二郎(日本芸術文化振興会)
(2000年収録)
■今日のテーマは「音響家の値打ち」ということですが、音響家は社会的に認められるようになったでしょうか。
及川:一般的に未だ認められていませんよね。
御坊田:北海道でも、自分の回りを見ると確かに音響家の地位は無いに等しいし、われわれの仕事はまだまだ「良くて当たり前、悪けりゃ・・・・・」の世界のようです。
石丸:その辺どうなんでしょう。自分でもっと音響家としてアピールしていけばいいんじゃないですか。
山本:やはり音響家を職業として認知するのは第三者だと思うんです。評価するのは第三者なので音響家が職業として認められるためには第三者に音響の仕事を理解させていかないとだめですね。
及川:まあ、マスコミが音響家の仕事の出来栄えを取り上げるようになれば認められていくのでしょうけど・・・。
山本:舞台の上で演じられたことやレコードなどに収録されたものに、どれだけ価値があるかという意味で、まだ認められていないと思うんですよ。
及川:海外は認めていますよ。認めていないのは日本だけですね。
山本:レコーディングエンジニアにしても芸術家としての意味合いでは認められていないですよね。本当はレコードという作品を創る芸術家として認められるべきだと思うんですが。
新谷:私は地方都市金沢で北陸を中心に活動してますが、まだまだ認められていないし、音響家という言葉、職種が認識されていない。それと舞台や作品を創っていくことやそういうものに観たり触れるという土壌が環境的にまだまだ育っていないという中でアピール、確立していかなくてはという状況です。
八板:私の周辺ではある程度、認められていますね。ポスターにもプログラムにも音響家がクレジットされようになりましたし、ギャラの面でも満足ではないがデザイン料がきちんと支払われています。たとえば、マイク1本だけのデザインでも、装置家や照明家と同等のデザイン料が支払われます。ロンドンのように、3ヶ月働けば1年暮らせるというのにはほど遠いんですが。日本はギャラの交渉をすると嫌われるんですよね。
及川:日本ではソフトに対する評価をする考えがないから、電話で相談したときギャラが発生する、ということを認識していない。結局、日本では音響は技術職として考えられているんです。
御坊田:技術者以下に扱われることもありますね。公開録音などでは、録音ミキシングをしたにもかかわらずクレジットすら出ないのが日常の世界です。それに対し文句も言えず「仕事だから我慢我慢」なんて考えるのは、もっと時限の低い話かもしれませんね。
八板:ギャラとして請求できないから機材費として請求してる。だから技術者だけの派遣をお願いすると、「機材はいらないんですか」と悲しそうな顔をするんですよ。
石丸:確かに目に見える機材にしかお金を払わない、ということは以前から指摘されていました。音響家としては更にもっと踏み込んで、じゃあ音が出ていたらそれにお金を貰うのか、音を大きくしたらその分ギャラが上がるのか、というような、音を量り売りするようなことは改善していきたいですね。有名な言葉ですが、「沈黙とは音がない状態ではない。沈黙という音がそこにあるのだ。」といいます。言葉よりも冗舌な沈黙があります。デザイナーは沈黙を作り出すのも仕事です。そのシーン、その場面に相応しい沈黙の色を決めることは重要な仕事です。ギャラは機材や出した音に対してではなく、音の演出プランに対して支払われるよう、ここは音響家が協力していきませんと。手ぶらでホールに行って、そこの機材を使って仕事できるようにならないと、感性は認められないと思います。
八板:音響家の商品は「音響機材」はなく「創造力」とか「創造性」だと思うんですが、流行りの音響機材を持つことが重要だと思っている人が実に多い。流行りの機材で、流行りの音を出して、バスドラは歌謡曲もロックもドカーンドカーンとみんな同じ音出していたのでは創造家じゃない。
山本:まったくその通りですね。音響を料理にたとえるならば、食材が役者やミュージシャンで、上手に刻んで調味料をほどよくふりかけて、鍋や網を用いて煮たりやいたして、上手に盛りつけるのが音響家だと思っているんですけれど、現状はどのメーカー鍋がいいとか、どこそこが製造している網が流行っているとか、つまり道具の話ばっかりしているわけなんです。
及川:いい機材を使えばいい音が出せると思っているのは、プロの料理人が使っているレシピと道具をつかえば同じ料理ができると思っているのと同じことですよ。それでみんなブランド指向になってしまう。本当は同じものを使っただけでは同じものはできないんですけどね。
八板:音響デザインをシステムデザインと勘違いしている人も結構多い。大切なことはどういう音を出すかということなんですよ。MDのスタートボタンは5歳の子どもでも押せるけど、問題はその後の音をどう操作するかです。それが音響家の価値のはずでしょう。そこに値打ちをつけていかないと。
山本:そうですね、それともっと音響家は作品製作に対する参加意識を持つべきですね。自分でもっと作品をよくしていくんだという参加意識が必要ですよね。
新谷:確かに自分でも気をつけようと思っていることですが、先に機材ありきで物事が進んでいくことの何と多いことでしょうか。音響家は表現者であるということを自覚して仕事しないと、作品の製作意図がズレてしまって、あいまいな仕事ぶりになってしまいますよね。
八板:現状は音響機器のことで頭が一杯になってしまっている。機材を道具として使って演技するとか、演奏に参加しているという意識を持って欲しいですね。
石丸 音響家として、もっと自分をアピールしていかないといけないと思うんです。みんなおとなしすぎますね。
及川 なんか一般に認識されるようなことをやらないとだめですね。新聞とかに「音響家 及川 公生が・・・・・」みたいに出たりして。悪いことしてね(笑)それは冗談としてもそうやってマスコミとかに「音響家だれそれ・・・・・」とでるようになると一般にも音響家が認識されるとおもうんですよ。ミュージカル・ミスサイゴンのヘリコプターのSEは観客にすごい感動を与えていますね。こういう仕事をしてこそ、俺の仕事を認めろと言えるんですね。
八板:雨後の筍のように音響会社ができて、「サウンドサービス」という言葉が使われるようになった時代から、個性のある音響家が少なくなったように感じますね。単なるサービス業になっていませんか。機材を購入すれば、誰でも一端の音響家になれという時代は既に終っている。
新谷:それは私の周りの状況をみても感じることで、機材で仕事を取れたり、お金をたくさんもらえるというのは少なくなってきているし、これからは個人としての資質というものがもっと重要になってきていることはひしひしと感じます。
山本:それと最近感じることなんですけど、趣味の延長線上で音響の仕事をやっている人が多いような気がしてならないんですよ。そういう人って趣味からでているから音響についての哲学がないんですよ。そのため音の持つ意味だとか、どのような効果があるかとか、そういう哲学が全く語られないまま仕事をしているというのが、ここ20年くらい続いているような気がしてしょうがないんです。だからどの機材が良いとか悪いとかそんな話ばかりしている。どのメーカーのスピーカがいいとかいっているが、そのメーカーがどういう哲学をもってそのスピーカを開発したかという部分は全く語られていないんですよね。
八板:そういうの音響の世界だけじゃないですか? 趣味で照明やる人っていないでしょ。医者とか弁護士とかにはマニアっていませんよね。でも音響にはマニア思想の人がいる。今は民生用機器のほうが使い易かったりする時代だからこそ、機材の価値じゃなくて音響家自身の価値が問われているんですね。
石丸:まったくその通りだと思いますね。哲学なしに安売りと御用聞きで何十年もやってきた結果が今、音響家の地位があがらないということになっていると思うんですよ。「あの会社がいくらでやるならうちはこれでやりますよ」というレンタル業になってしまっている。ここが一番の問題だと思います。
八板:本当は辺鄙なところに住んでいても、「あなたの音で是非やりたい、交通費だすから来てください」といわれなければだめなんですよね。現に、宮崎の音響家が東京のバレエ団の音を創っているんですよ。そういう時代です。
及川 まさにそれはその人の哲学を買うということですもんね。今後はますますハイテク化していくし、自分の思想を持っていないと厳しいと思います。それと一般教養を持つこと。専門技術一辺倒にならないことです。
■この現状の打開策としては、どうしていったらいいと思いますか?
及川:とにかく一人一人が頑張っていくことですね。少なくとも日本音響家協会の会員だけでも光る仕事をやっていくことです。誰かが自分たちの仕事を確立してくれるなどと思っていては駄目。いいかげんな仕事をしていれば回りもいいかげんになってくるし、一人一人が誇りを持ってこだわって仕事をしていくことですね。
御坊田:やはり日ごろから自分自身がいろんなことを貪欲に勉強し行くことに尽きると思います。それで周りの評価が高まり、地位確立に結びつくのではないでしょうか。
八板:そして、頑張っている人の足を引っ張らないこと。私はもっと安いギャラでやりますなんて、営業をしないこと。
山本:音響家が営業しているようでは駄目ですよ。
及川:それから、私が気を遣っていることはコミュニケーションですね。録音の仕事はともかく出音が良くないと絶対に良い録音はできないんです。良い演奏をしてもらうことが良い録音をとる第一歩なんです。そのためにはミュージシャンに不安感をあたえてはいけないんです。だからコミュニケーションをしっかりとってミュージシャンに信頼してもらうよう心がけています。
石丸:なぜ、このような音を出すのかを明確に答えられるポリシーを持っていないと通用しませんよね。
山本:やはり信念を持ってやることです。例えば目新しいことやると最初は批判あびるんですけど、自分が信念持ってやっていくとだんだんそれが減っていくんですよね。私も、昔やった仕事で最初は批判浴びていたことがあったんです。で、だいぶ心がうごいたんですけど、ある時、開き直って「俺はこうやるんだ!」と決断してやりはじめると、だんだん批判が減ってきたんですよ。あれは不思議でしたけどね。やはり自分のやりたいことが分かってくると音にも現れるんですね。
及川:それが個性ですよね。そして個性が味になるんですよ。いろんな世界で個性を創っていかないといけないと思いますね。ジャズの世界ではルディ・ヴァン・ゲルダーという人が「これがジャズだ!」という録音の世界を創ってしまった。そこからずれていくと「そんなのジャズじゃない」とかいわれてしまうような録音の世界を創ったわけです。実際は、唾液が“ビヒャー!”とかいうあんな音なんか聞こえないんですよ。でもルディ・ヴァン・ゲルダーが思想を持って、そういう音でレコード創って「ジャズってこういうものだ」ということになっているわけですね。こういうことが個性だと思いますね。だいたい音響家は癖が無さ過ぎるね・・・(笑)
石丸:そういうふうに個性が大切だから、もっと個人名を使って仕事をしたほうがいいのではないでしょうか。音響の人たちの場合は会社の名前しか出てこない。公演のチラシもパンフレットのクレジットには会社名しか出ないのが音響部門ですね。名前の次に会社名を入れているのも多い。そんなに会社名を売ってどうするんでしょう。堂々と個人名で仕事ができないと音響家としての地位は向上しないでしょうね。会社名は請求書を書くときだけにしてもらいたい。
及川 個人をもっと大切にしないと、音響家という職業は認められない。録音の世界ではレコーディングエンジニアの名前でレコードを買う人が少しずつ増えているから、お客さんも少しずつは個性を意識しはじめていると思います。
御坊田:自分の周りでも、最近は随分変わってきたような気がしますね。ひとつには音響家協会のような活動により周りの見方も少しづつ変わってきているみたいです。それから、公の機関が音響家という分野を、認めつつあるということでしょうね。まだまだ、「あなたの経歴は?」なんて聞かれることもありますけど、それでも私たちに対しての認識は随分変わったと思いますよ。少しずつ良くなっているのは、お世辞ではなく先輩たちのお陰です。ですから、私も後輩たちのために、より一層、頑張らないといけない。そうして行かなければ、一夜にして良くなるものではありませんからね。
山本:実は先日ある方に「音響家が音響家として認知されないのは、舞台を作るという行為の中で、音響さんは自分達のテリトリーの中だけでしか仕事をしていないからだ」と言われたんです。どういう事かというと、舞台監督に音響仕込み図を提出しない、ここでいう図面は音響用の舞台平面図や音響ブロックダイアグラムといったものではなく、舞台セットをもとにした電気工事図のようなものです。ともかく、そういった図面が提出されないのでセットの穴開けやバトン吊り、機材の位置等が仕込み当日の現場処理が日常になっている、こんな状態だと舞台での音響の立場は変わらないのでは、ということなんです。この現状をどうにかするには、やはり、一つ一つ確実な事を実践していくしかない。一つ一つのことが会員全体のレベルアップにもつながるし、結果としてギャラアップにもつながっていくと思います。
八板:それから、演出家や作曲家や指揮者と同次元の話ができて、俳優やミュージシャンに勝るものを持たないと認められるわけないですよ。
及川:そうですね、音のことだけでミュージシャンと会話していたのでは最低。音楽の中身について話ができないと駄目です。そうしないとミュージシャンに馬鹿にされてしまいますよ。音程がおかしいと思ったらそれを指摘できたりすると信頼されますよ。
石丸:台本を覚えてオペレーションするくらいでないと駄目。風呂入ったときに口ずさめるくらいにね。私は以前やった芝居でオペレーションしながら必ず泣く所があったんです。今考えると役者にいれこんでいたんでしょうね。それで先輩が「今日も石丸が泣いてるぞ」と覗きに来るという・・・・・・(笑)
八板:それから、コンサートのオペレータなら、曲はすべて覚えてからやることですね。そうでないとフェーダが自由自在に動かない。フェーダ上げっぱなしではプロじゃないですよ。
及川:そして、初めはオーソドックスに仕事をしたほうがいい。最初からあまり変わったことをやろうとすると失敗するし、信頼されない。少しずつ工夫を加えてあげると信頼もぐっと増します。
新谷:自分的には、今一度「音」を大事に扱かおう(接する)と思っています。当たり前のことですが、何かを創っていくときにこのことが抜けてしまうと、技術的にも感覚的にも広がっていかないからです。それと、いろんな面で気づくことがあったり、フィードバックしてくるものが大きいと思えます。あと、演者のもう一つの目というか耳というか、私たちはそういう役割を果たすことも重要なことですよね。
八板:だれかがやってくれるわけではなし、自分で自分の値打ちを上げていかないと、どうしょうもないでしょうね。協会も、ただ群れていたのではだめでしょう。一人ひとりが、まず自分のために頑張ることから始めないと・・・。そのために協会をどんどん利用すればいいんです。協会が儲けさせてくれるだろうなんて考えているようでは、自分の値打ちは作れません。