第1回海外音響技術視察・欧州編
(1978年8月22日~30日実施)
◆
1979年1月
日本音響材料協会機関誌「音響技術」25号
第1回欧州音響技術視察旅行手記
若林 駿介
(日本音響家協会会長)
欧州音響技術視察団35名を乗せたBA(英国航空)機は、猛暑の続く8月22日、成田空港をあとにして、一路ヨーロッパをめざし、アンカレッジに向かった。ジャンボ・ジエットのせいか、大きな揺れもなく大変スムーズな飛行である。今年のヨーロッパは、東京とは逆にかなり涼しい天候であるというが、果して快く、そして有益な視察ができるか、期待が大きかった。
10数時間の長い飛行を終えて、ロンドンの空港でひと休み、引き続いて、ケルンへ向う。現地時間の昼過ぎケルン空港へ着いて、貸切りバスでそのままケルンのオペラハウスを訪問。
折からシエンベルクのオペラ「モーゼとアロン」のリハーサルが行われており、担当の係員の案内で、つぶさに内部を見学したあと、担当者をまじえてかなり突っ込んだディスカッションへと展開する。その足でボンまで走り、ベートーベン・ザ一ルを訪問。このホ一ルは丁度改装中であったが、それだけにふだん見られないようなところまで見せてもらえたし、特に新設の音響調整卓などに興味が集中した。
初日は、この2つのホ一ルの視察でスケジュールを終えたが、ケルンへもどって20数時間の旅装をとく。長時間にわたるへビ一•スケジュールの第1日であったにもかかわらず、無事終えることのできたのは、緊張感とメンバーの若さによるものか。
翌日は、折から開催中のデュッセルドルフのオーディオ・ショー“Hi-Fi78”を見る。ここでは、日本のオーディオ製品の進出とその高い評価にびっくりもし、また大いに自信を持った。
夕方から西ドイツを後にして、バスで200kmを走りオランダ、アムステルダムへ向う。アムステルダムの初日は、早朝からドイツ•グラモフォン、ヴィーゼロード・スタジオの訪問だ。このスタジオは、ごく最近建てられたレコ一ド専用の録音スタジオである。郊外の別荘地の林の中に建てられた大変ユニークな設計である。わざわざハノ一ヴァーから技術者も来てくれており、スタジオ見学、録音のデモンス卜レ一ションのあと、スライドによる技術的な説明があり、特にマルチ・トラック録音をめざした最新の設計ポイントについては大いに学ぶところがあった。
アムステルダムには3晩滞在した。有名なコンセルトへボウ・ホールの見学を始め多岐にわたったが、希望者はロッテルダムまで足をのばして、デ・ドーレン・ホ一ルを訪問。あるいは伝統のある教会堂を訪れ、パイプオルガンの生の音に接する。コンセルトへボウの大ホールでは、丁度ワーグナーのオペラ「タンホイザー」のリハーサルが行われており、その豊かな残響音と、音のとけあいの美しさを満喫。また教会堂では、雄大で荘厳なバイプオルガンのサウンドを心ゆくまで味わうことができた。
アムステルダムの次は、空路にてイギリス、ロンドンへ向う。夕方からロイヤル・フェスティバル・ホールで行われた演奏会を鑑賞。サマ一・コンサートということで、バレエの公演を流用した仮設ステージで、有名なヴァイオリニスト、ズッカーマンとイギリス室内管弦楽団による小オーケストラのプログラムである。あらかじめ渡された資料によって、そのねらいは近代ホールの音や響きに注目して音楽を楽しむという企画だ。有名なヴィヴァルディの「四季」の弦楽器の音の味わい、各パートの分離のよさなどが、いまだに耳に残る楽しい演奏会であった。
今回の視察の最終日、8月29日は、昼には東京へ帰国するフライトが待っているというぎっしりしたスケジュールであったが、最後の訪問先として、EMIのアビー・ロード・スタジオを朝8時に訪れる。早朝にもかかわらず、快く担当技術者が待機していてくれた。このアビ一・ロード・スタジオは、有名なビートルズの誕生の地として知られたスタジオだ。
郊外にあって、また最新の設計によるアムステルダムのヴィーゼロ一ド・スタジオとは対象的だ。古い伝統と歴史によって培われたこのスタジオは、設備がよくこなされているし、使い勝手が完全に消化され熟成されている感じだ。特にクラシック音楽にも使う大スタジオは、その音響特性についても、諸設備についても注目に値するものとみてよいだろう。
以上、今回の視察旅行は、全9 日という短期間で、ぎっしりとしすぎたスケジュールであったにもかかわらず、大変内容の充実した密度の濃いものであった。恐らく、テ一マを音響だけにしぼり、古今のホ一ルや教会堂、録音スタジオを訪問というこのような企画は初めてではなかろうか。建築音響、ホ一ルやスタジオの設計者、音響材料や設備のメーカ一の人たち、これらを操作するミクサ一、ステ一ジやマイクロホンの前で演奏する音楽家など、音響の中でも多彩な分野の人たちの参加を得たが、それぞれが得るところも多かったであろうし、また貴重な経験をしたのではないかと思う。
それにしても、成田空港に着いたときの、高湿と猛暑にはうんざりさせられたし、折からの円高で紙コップ一杯のコーラが200円というのがとても高価に感じられたのは、私だけではなかったようだ。
1979年5月 機関誌「音響」15th
ヨーロッパの音楽と音響
吉田 文之
(NHK中部本部)
この視察旅行にあたり、私は最新の電気音響設備やその音を実際に確かめることもあるが、それ以上にヨ一ロッパのクラシック音楽の土壌、風土といったものを感覚的につかみたいと思って参加したのである。
西独ではケルンのオペラハウス、ボンのベートーベンホール、デュッセルドルフのHiFi 78 、オランダではアムステルダムコンセルトへボウ、グラモフォンのヴィ一ゼロ一ド・スタジオ。イギリスではロンドンのフェスティバルホ一ル、EMIのアビーロード・スタジオを視察した。
このうちコンセルトへボウの他は、戦後の音響理論にもとづいて設計されたとのことで、音響的には同様な手法で建設されている日本の各地のホールと大差がないと感じられた。
この中ではベ一トーベンホ一ルがすぐれており、ステージで手を打ってみると残響が適度できれいに減衰しているのがわかった。これらに比較して音響理論などがない時代に経験則から作られたコンセルトへボウの響きの良さはどうだったかというと、タンホイザーのリハ一サル中であったが、このような音はかつて聞いたことがなかった。まさに、これがヨーロッパ伝統の音かと感嘆した。その音は、一口で言って残響の豊かさにあるといってよい。そして、それにもかかわらず音がこもらず個々の楽器の音が明瞭で、しかも溶け合っており、最後部の席でも歌い手の歌詞が明瞭に伝わってくる。トゥッティの後、私たちを包み込んでいた柔らかな響きがスーッと引いてゆくのが感じられ、すばらしいものであった。
また、電気音響設備は各ホールとも、日本の方が進んでいるようである。特殊な例としてべートーベンホールの6ケ国同時通訳装置とかフェスティバルホールの電気残響附加装置があるが、後者はホ一ルの残響の不足を補う苦肉の策だろうと思った。
グラモフォンのヴィ一ゼロード・スタジオは、トムヒドレ一の設計によるもので半年ばかり前にできたという最新のものである。これはマルチトラックレコーディングスタジオの究極の姿とも言えるもので、各パートのブースが決められていて、それぞれに合わせた音響処理がしてある。
▲ヴィ一ゼロ一ド・スタジオ
調整室は、エンジニアの位置で最適な音響特性となるように、卓やスピーカ、内装処理がなされている。究極であるとともに何か息がつまる思いもした。しかし、3つのスタジオをつなぐ廊下はストリートの風情を持たせたなかなか洒落たもので、心をなごませる配慮がなされている。
▲廊下の様子
EMIのアビーロ一ド・スタジオは、ビートルズを生んだスタジオとして有名だが、日本でもよく見られる一般的なスタジオである。マイク等はノイマンの古いものを使用していた。ただ調整卓はニーブのコンピュータMIX方式のものが第3スタジオに入っていた。
さて、Hi-Fi 78は日本でいうオーディオ・ショーで、世界中から約150社が参加、世界最大規模のショーであるが、その半数あまりが日本のメーカ一で占められており、日本各社のブースは日本で開かれる数倍の大きさで、これに対し欧米各社は小さなブースなので全体的には日本に占領されてしまったような印象を受けた。
以上、個々の印象を述べたが、全体を振り返ってみると、最近の音響設備は日本でも西欧でも大差がなく、むしろコンセルトへボウや街頭の辻音楽師、かたすみの小教会のパイプオルガンといった風物によき時代のヨーロッパが感じられた。
伝統的な文化を守るという点で、日本はヨーロッパに学ぶべき面が多い。西欧化した日本に帰って、いったい日本とは何か、日本独自の文化とは何かを考えさせられた。