1981年4月
機関誌「音響」No.23掲載
第3回海外音響技術視察
(1981年1月13日~21日実施)
ウィーンとパリの劇場
今回はウィ一ンを中心にザルツブルグやパリにおいて、10箇所の劇場とコンサートホールを視察した。また。オペラとコンサートを8公演鑑賞し、本場の音楽を十分に堪能することができた。なお参加者は23名であった。
ウィーン市内
オ一ストリアは永世中立国である。空港の入国手続き窓口の脇に機関銃を持った兵士が立っていた。しかし、入国手続きは形式的で、一行が日本人であると判るや、パスポートは見せないでも良いというサインを送ってきた。全員フリーパスであった。日本にはとても友好的な国のようだ。
ウィーン市内の建物は古く、しかしよく手入れがされていて美しい。そして、ネオンサインは全くない。店の看板はケバケバしいものでなく、古い建物とよく調和している。最近できたというマクドナルドは「看板の色が派手で下品な店である」として評判が悪いらしい。繁華街をのんびりと散策していて気づくのは、道路にタバコの吸殼が落ちていないことだ。道行く人たちを見ると、タバコを吸いながら歩いている人がひとりもいないのである。もう一つ気づいたことは、電気音響的騒音がないことだ。要するに、BGMや宣伝アナウンスがないのだ。だから、街角で愛嬌をふりまく街頭オルガンの音は、街中に心地よく響き渡っていた。また、フルートを吹いて物乞いをしている音楽青年などもいて、音楽の都にいるという実感が湧いてくる。
ウィーンには環状線があり、これを真似て日本の山手線が造られたのだと聞かされ驚いた。
市内中心には、古びたシュテファン大聖堂があって、市民には「老いぼれシュテファン」と呼ばれて親しまれている。中はたいへん広く、天井はべらぼうに高い。パイプオルガンの響きもすばらしい。祭壇に多くのマイクが仕込まれているのを 発見。装飾物と同じ色で塗られてあるので目立たない。
ウィーン最終日の夜、オペラ「ばらの騎士」を観た後、居酒屋村でウィーンフィルのメンバ一とのパ一ティが催された。ここで、オ一ストリアに古くから伝わる民衆音楽、シュランメルを聴きながら、うまいワインをたらふく飲んだ。
▲居酒屋にて
ウィーン・国立オペラ劇場
この劇場の客席数は、1658である。天井にはクリスタル製の大きな円環形のシャンデリアが美しく輝いている。2、3、4階がボックス席になっていて、内部は赤いビロードでおおわれている。
6階の天井桟敷には、音楽学生のための座席が用意されていて、楽譜を読むためのテーブルと照明設備が付いている。1階の後部には立見席がある。
1階席の中央に座ってみると、わが国のだだっ広い多目的ホールに慣れてしまっている私たちには狭く感じられた。
残響時間は中低域が1.8秒で、高域が0.9秒とのことである。そのためか、残響音の消えていくのが美しい。わが国のホールでよく感じられる、高域の金属的な残響がいつまでも天井に残っているような、まるで安もののスプリングエコーマシンの響きではない。
この劇場でいくつかのオペラを観たが、その音響は実に素晴らしい。遠くで音がなっているのでなく、力強い響きと美しく澄んだ音が観客席を包み込んでくれるからだ。親近感のある音である。オ一ケストラピットは、一部が吸音材で仕上げてあって、各楽器のバランスを良くするようなエ夫がされている。
音響調整室は客席後部天井に位置し、卓の前と横のガラス窓は開閉式となっている。リハ一サル中は窓を開けて音合せを行い、本番は閉めて操作しているそうだ。プロセニアムの5箇所にスピ一カシステムが埋め込まれている。
クラシックオペラの場合は、ステージ奥の音や陰のコーラスなどをSRするのに、ガンマイクを用いて収音している。もちろんディレイが使用されている。音響スタッフはステージ担当も入れて7人おり、創作オペラでは効果音を再生することが多く、私たちの観た子供向けのオペラでは3人掛かりで3台のテープレコ一ダを用いて奮闘していた。1人で数台のテープレコーダを操作する軽業師的な日本の効果マンにとって、うらやましいことである。なお、音響セクションのヘッドは私たちの案内役をつとめてくれたネツパル氏で、卜一ンマイスタの資格をもっている。トーンマイスタの資格を取るには、音楽技能をしっかり身につけ、その上、音響工学を学び、永い実務経験を要するそうだ。ちなみに、ネツバル氏は5つの楽器を演奏するという。
ウィーン楽友協会大ホール
このホールに入ると、誰でもが旧さを感じることだろう。正面には巨大なオルガンがあって、側壁は高窓、バルコニーの下に金色の豊満な女性像が32個も並んでいる。天井は格天井で、そこに10個の巨大なクリスタル製のシャンデリアが吊られている。どこを見ても金箔の装飾と彫像でゴテゴテしている。
内装材はほとんどが木材で、全てがスリ減っている。床は歩くときしむ。座席も木製で座り心地はあまり良くない。客席数は1,680あるが椅子は比較的狭く、天井が高くなっていて、残響時間は満席時に中音域で約2秒と長い。そして、装飾などによって不規則な内部表面となっていることが要因と思われるが、見事な音響である。また、ウィーンフィルの力強い演奏は、このホールの響きを一層すばらしいものにしている。ホ一ル全体が楽器なのだ。
ヘルベルト・フォン・カラヤンは「このホールの音は完全である。低音が豊かで、高音の弦にもよい。一つの欠点は、楽器の細かいテクニックが失われることだ。正確に鳴らぬ楽器もやがては溶け込んでしまい、それに続く音もまた互いの中に溶け込んでしまう。ここは高度の想像力をかきたてるホールで、指揮者に霊感を与えてくれる」と評している。
指揮者の大町陽一郎は「日本のホ一ルは前方向から聴こえてくるだけで響いていない。しかし、ウィーン楽友協会ホールの音は頭の上からも聞こえてきて包み込んでくれる」と評して、わが国のホール音響の欠点を指摘している。
▲楽友協会ホール
ザルツブルグ祝祭大劇場
この劇場の裏手は岩山になっていて、ステージが岩穴に入り込んでいる。用途はオペラやコンサート、そして演劇である。2,179の座席を持ち、間口が32mもある巨大な劇場である。音響に関する評判は必ずしも良くない。賛否両論ある。ここではモーツァルテウム管弦楽団のコンサートを鑑賞したが、私たちがよく耳にする近代的な音で、親近感に欠けている感じがした。ちなみに残響時間は1.5秒である。
ウィーン劇場(Theater an der Wien)
ウィーン川に面した劇場という意味である。ベートーベンの「フィデリオ」「運命」「田園」等がここで初演されたといわれている。
1962年に修復され、現在は現代作曲家のオペラ、ノズレエ、ミュージカルなどを上演している。
当初、この劇場の見学は予定に入っていなかったのだが、ここの電気音響設備をぜひ見ていただきたいということで、予定を変更しの短時間の見学であった。音響調整室は2階のギャラリー席中央にあり、テープレコーダの操作は ガラス張りの部屋の中で行い、SRはギャラリー席に出て操作するようになっている。
国立オペラ劇場もそうであるが、電気音響設備の性能、数、機構などの点では日本よりも劣っているかもしれないが、実際に使用することのない、または使用されていない無駄な機材はないようだ。必要最小限の機材をうまく使いこなしているようであった。要は芸術性でしょう。
パリ・オペラ座
赤と金の豪奢な装飾をほどこされた馬蹄形をしたイタリア式劇場である。現在、2,000名の観客を収容することができる。舞台前面部の幅は16m(舞台全幅の1/3)、高さは15m (全高の1/4)となっており、客席天井の中央にはシャガ一ルの絵が描かれていて、その下には6.5トンの大シャンデリアが吊ってある。舞台床は奥に向かって緩やかに傾斜している。これは、平土間席から演者(特にバレエ)の足元が見えるようにするためである。
劇場の天井裏には、バレエのレッスン場がいくつかあるが、すべて床は舞台と同じように、傾斜して作られている。
▲パリ・オペラ座
この国立劇場を運営するスタッフは1,000人以上にも及んでいる。また、芸術家養成の学校が2校ある。それは声楽学校と舞踊学校で、それぞれパリ・オペラ座や他の劇団、オペラ座バレエ団への入団が保証されている。音響調整室、照明操作室は、客席後部中央のボックス席を改造したのである。
(1989年にオペラ・バスティーユが新たに完成し、現在は主にここでオペラ公演が行われる。こちらはバスティーユ・オペラ座、新オペラ座とも呼ばれる)
今回のツアーで感じたことは、とかく私たちは電気音響家になりがちで、音響設備や機器の性能にばかりとらわれてしまっているのではなかろうかということだ。
オ一ストリアの人たちは、ホ一ル音響に関して高い評価基準をもっている。それだけに、ホール音響に対して厳しい。音楽において、建築音響の不良は最悪であることぐらい私たちでも知っているのだが、有名な指揮者の顔を拝めれば良いという聴衆が多い日本の現状は困ったものだ。
今、世の中はハードからソフトの時代へと戻りつつある。プロ音響の世界も電気音響機器を誇示する時代でなく、音響家の感性を問われるようになっている。いや、そうならなければならない。
最後に、今回のツアーが成功した裏には、元ウィーンフィル楽団長のフューブナ一氏(バイオリン奏者)の絶大なるご協力があったことを明記しておかなければならない。
(文責:八板賢二郎)