琵琶湖の湖畔に、シドニーのオペラハウスを思わせる純白の建物がある。びわ湖ホールである。オペラのイメージが板についたホールで、これまでの公共ホールというイメージは感じられない。優秀なプロパーの下、オペラ運営の人材も育ち、オープン当初から掲げてきたテーマに沿って、運営はユニークでもあり、また地道でもある。オペラ音響デザインの第一人者、小野隆浩さんがいるホールである。その小野さんにお話を伺った。(2006年7月取材)
Q 本格的なオペラ劇場としてオープンしましたが、どのような劇場をめざしたのでしょうか。
小野 主舞台だけではなく奥舞台や側舞台の複数の舞台面を持つ、いわゆる多面舞台を持った劇場としては、富山オーバードの次にオープンしました。我々の後にできた多面舞台の劇場は、まつもと市民芸術館や兵庫芸術文化センターなので、一連の大型多面舞台の劇場としては後発に入ります。ハコモノ行政が世で騒がれていた時代に計画された劇場とも言えますから、準備段階からハードだけではなく、ソフトも平行して考えてきました。ソフトとしては、従来からある「鑑賞型の劇場」ではなく、オリジナリティや地域性を活かすための「創造型の劇場」を目指しました。その結果、生まれたのが、オープン以来続いている「観客の創造」と「舞台芸術の創造」という「二つの創造」という、びわ湖ホールのテーマです。
Q 観客の創造とは具体的に、どういうことですか。
小野 びわ湖ホールは首都圏や大都市にある劇場ではありません。大量の観客が見込める大都市は、上演する舞台芸術を考えることに主眼が置かれます。しかし、びわ湖のような地域にある劇場は、同時に「観客」も平行して創っていかなければならないと考えました。それが「観客の創造」です。劇場にとって「上演する作品」と「それを楽しむ観客」の両方が不可欠だからです。そのため、劇場ができる前から入門編として、小型のオペラやバレエ、コンサートを県内各地で行いました。これらのプレ企画は、観客の皆様へは、これから生まれる劇場への期待を持っていただくことができましたし、我々には制作プロセスの練習になりました。オープン以降も劇場サポーターやシアターメイツ等の活動により「観客の創造」は続いています。
Q いろいろな形でオペラの公演をなさっていますね。
小野 オペラ作品は、大きく分けて3つのパターンで自主制作しています。まず「世界に向けて」という意識(あくまでも目標ですが)で考えた最高のキャストとスタッフで作るプロデュース・オペラがあります。そして「地域に向けて」という観点から公募型オーディションを行うビエンナーレ・オペラがあります。もう一つは「未来に向けて」として、これからの時代を担う子供たちに向けた青少年オペラシリーズがあります。
Q 市民のオペラへの注目度は高まり、ファンの数も増加していると思われますが。
小野 おかげさまで、西日本にしては、オペラ公演が多いほうだと思います。自主制作以外にも、国内や海外のプロダクションによるオペラ公演が数多くあります。舞台芸術が好きな方でも、オープン前は「オペラは観たことがない」といわれる方がほとんどで心配していましたが、今では「この作品はまだ観たことがない」というように変わってきました。
音楽専門誌も、今までは中央の公演が主な取材対象でしたが、びわ湖ホールが取り上げられる機会も多くなってきました。
Q 青少年には、観劇マナーも指導しているとか。
小野 観劇マナーの指導というほどのことではないのですが、子供や学校そして青少年向けの公演も、子供扱いせずに大人とまったく同じ対応をしています。見学会などの普及事業以外は正式なチケットを発券しますし、それを、場内を案内するレセプショニストがモギリ、きちんと席まで案内します。大人と同じ対応をとることで、はしゃいだり、走り回る子供はいません。公共の場で、どんなことが他の人の迷惑になるかを、子供ながらに考えるようです。
Q 子供を一人前扱いするということは自覚の育成になりますね。引率の先生が大声出しても効き目はないですものね。
ところで、劇場にとらわれずに、巡業も行っているようですね。
小野 今年はビエンナーレ・オペラの関係で大型の移動公演はありませんが、声楽アンサンブルによる小学校への巡回公演や、音楽の授業に参加する学校訪問はあります。東日本にもお邪魔しています。
Q 声楽アンサンブルは、びわ湖ホール専属の合唱団ですか。
小野 合唱団ではありません。それぞれがソリストとしての力量を持つ声楽家の集団「声楽アンサンブル」です。各パート4名ずつで、16名います。それ以外に、準専属という形で、数多くの声楽家が登録しています。
Q 友の会、シアターメイツ、劇場サポーターなど市民のための窓口がいろいろあるようですね。
小野 友の会は、ご存知のように優先的にチケットが入手できる特典があり、他の劇場でもお持ちの組織だと思います。それ以外に、びわ湖ホールには劇場サポーターという組織があります。これは友の会のような「受動的」なものではなく、もっと「能動的」なものです。年数回の舞台芸術に関するセミナーや自主制作の稽古見学や舞台裏セミナーを行い、「今、びわ湖ホールが何を創作しているか」を家庭や職場で広く伝えてもらう役目を担っています。また、日々のサポーターの活動を通じて「今、観客は何を望んでいるか」という観客のニーズを、劇場側につたえてもらう役目もあります。
シアターメイツは、劇場サポーターの青少年版といって良いでしょう。ただ、青少年は個人での行動がしにくいと思われるため、シアターメイツは兄弟や姉妹、そして4人程度のお友達グループで構成されています。どちらも応募制のボランティアです。これらの「劇場を取り巻く方々」の活動が「観客の創造」につながっていくと期待しています。
Q オペラなどは職員を主に、委託技術者により運営しているのですか。
小野 可能な部分はそうしています。ただ、舞台装置製作や衣装は外部にお願いしています。また、びわ湖ホールには「舞台機構」というセクションはあっても「舞台」というセクションがないため、いわゆる「大道具方」は外部にお願いしています。自主制作に関しては、次のような体制をとっています。制作セクションは、「制作」と「舞台制作」に分けています。「舞台制作」の中に「舞台監督」と「舞台監督助手」がいます。
その他に劇場の舞台機構を動かす「舞台機構」、照明を担当する「舞台照明」、音響を担当する「舞台音響」と、ここまでのスタッフがびわ湖ホールにいます。それ以外のセクションは外部になります。
Q 美術・照明・音響などのデザインは、劇場の職員が参加していくのでしょうか。
小野 いろいろなケースがあります。一般的にも演出家がメインのデザイナーを選ぶと思いますが、びわ湖ホールでも同じです。あくまでも演出家から「指名」があった場合のみ職員がデザイナーとして参加しますので、外部デザイナーと一緒に作品を創造する場合もあります。いずれの場合にしろ「外部にまるっきりお任せ」になることはなく、少なくとも「作品創りに参加」することにしています。
Q オペラの専門技術者が簡単に探せるわけではないでしょうから、職員をはじめ委託スタッフの養成・トレーニングも実施したのですか。その成果はいかがでしたか。
小野 ホールのソフトができあがるとき(オープン時)に、いくつかラッキーな点がありました。まず「ゼロからのスタート」だったことで、いろいろな「しがらみ」が無く進められたこと、そして「現場で一線のプロ」を集められたことです。委託技術者の方々も1社から派遣されているのではなく「京滋舞台芸術事業協同組合」という大きな組織からの派遣だったことも「ゼロからのスタート」を可能にした大きな要因かもしれません。
Q それは、どのような方法で行ったのですか。
小野 最初は皆「オペラの素人」でしたから、いきなり外部のデザイナーに「オペラをやりなさい」と言われても困ったことでしょう。ところがホールには、舞台監督をはじめオペラのプロと呼べるデザイナーが内部にいましたので、日々の会話の中でオペラの創り方や用語や手法に関する話ができる環境だったので皆、成長しました。また、サポーターやシアターメイツ用の見学会やプレゼンテーション用の舞台稽古を行っていますので、そこで指揮者や演出家から作品の解説や時代背景を観客と一緒に聞くことで、作品への理解度が増しました。舞台装置デザインの説明なども、できるだけ多くのスタッフを集めて行っています。このようなことを繰り返すことで「自分のセクションのことしか知らない」というスタッフではなく、「全体がどうなっているか知っている」スタッフになってくれました。
Q 貸し劇場の場合は、劇場スタッフはどのような形で絡んで行くのですか。
小野 純粋に「持ち込み」の場合は、通常の対応と同じと思います。劇場の機材を使われる場合は、「大ホール」「中ホール」「小ホール」と区切ることなく、空いている機材は移動して、できる限りデザイナーの希望に沿うようにしています。
Q 地元の方々の催しも多いと思いますが、そのような場合、びわ湖ホールには優秀なプロパーがお揃いなので、市民の芸術創造活動に知恵をお貸しするようなことも多いと思うのですが。
小野 いろいろと相談を受けることは多いほうだと思います。お話をさせていただいた後「では具体的に公演のデザインをお願いします」という場合は、稽古に付き合いデザインを行っています。この際には、通常のデザイナーと同じように「プラン料」を劇場側がいただくことになります。私はクラッシック関係が多いのですが、もう一人いるデザイナーの押谷は、ダンスやバレエ作品を数多く手がけています。
Q 1998年の9月にオープンして8年になりましたが、びわ湖ホールの評判はいかがですか。
小野 観客のアンケート等を見ると首都圏や四国、九州の方も数多くあり、西日本のびわ湖ホールという意識や観客の関心は高まってきたとは思います。
7月に行われたビエンナーレ・オペラですが、ソリストを公募したところ日本全国からエントリーがありました。そして、主役の二人のうちソプラノは札幌在住、テノールは沖縄からという結果になりました。合唱団も数多くの方が応募されましたし、バレエは特定の団体ではなく、複数の団体が参加しています。この様なケースは珍しいのではないでしょうか。
Q 県民だけでなく、全国から注目されているのですね。観客を育てるという事業も、とても大切なことです。そのための何か工夫とか、そのための仕掛けなどされていますか。
小野 サポーターの方々以外からも、「舞台芸術の講座をしてほしい」との声が数多く上がるようになりました。当初は劇場内の会議室で一般の方を対象とした講座を開催していましたが、人数が多くなりすぎてしまい、机や椅子が足りなくなってしまいました。「ワークショップ」や「実演」でしたら劇場で十分なのですが、「講座」となるとどうしても机や椅子、そしてAV機器が必要になります。そのため、今年から他施設の大会議場をお借りして開催することになりました。
Q バックステージツアーなどもやっていますね。
小野 月に数回行われる一般の方用の「見学ツアー」と、夏休みに行われる子供向けの「劇場探検ツアー」というのがあります。これは、お化けに案内されながら「謎解き」のツアーに出かけ、一周すると「劇場のしくみ」がわかるという探検ツアーです。オープン時から続けているのですが、人気が高くチケットは抽選になっています。
Q 将来のオペラファンは子供ですから、大切にしないといけません。これから、どのようなホール運営を目指して行きますか。
小野 日本の公立ホールには、3つの段階があるような気がします。まず「管理」で、これは言葉通りホールを「管理」することが主体となります。そしてホール管理のノウハウを身に着けた後に、次の段階である「運営」になっていきます。ホールを運営するということは、管理に加えて「借り物」や「買い物」だけではなく、「オリジナルなもの」を創造できることを意味しています。
そして、指定管理者制度が行われている今、我々にもその上の段階の「経営」が必要になってくると思います。「観客の創造」と「舞台芸術の創造」という「二つの創造」を柱に、「経営」を横目で見つつ、びわ湖ホールは「創造し発信する劇場」であり続けたいと思っています。
Q 経営を考えながらホールを管理・運営していくことこそプロの世界です。これまでは、舞台芸術と経営は無縁と考えられていた。ところが、指定管理者制度によって、多くのホールはこのことに気付かされましたね。これからも、びわ湖ホールが日本の公共ホールをリードしていってください。
■オペラ、バレエ、ミュージカルなどを主とした4面舞台の大ホールは、1848席で、走行式音響反射板をセットするとコンサートホールになる。804席の中ホールは、全体がダークな色調で演劇向きであるが、オーケストラピットにもなる前舞台があるので、オペラやミュージカルの上演も可能である。323席の小ホールはシューボックス型のコンサートホールで、サクラ材などを使用した内装は小編成のクラシックに適している。【取材:八板賢二郎】