日本人の音意識
角田 忠信
東京医科歯科大学教授/医学博士
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八板 賢二郎
日本芸術文化振興会
(1988年収録)
西洋の演劇に比べてみると、日本の演劇には虫の声や小鳥の囀りなどの効果音が数多く用いられていることに気付く。また翻訳ものでも日本人が演出すると、効果音が多く使われる。つまり、効果音に依存した演出の作品が多いということである。それは、私たちが効果音にさまざまな意味を持たせることができるということであり、効果音を聞いてその演出意図を汲み取ることができるという感性を持っているからなのである。それだけ想像力に長けているということである。
私たちは虫の音を聴いていろいろな感情を抱くが、西欧人は工場の騒音と同類のノイズとして認識しているといわれている。「岩にしみ入る蝉の声」と歌に詠んだり、都会のマンションのベランダに鈴虫を飼って風情を楽しんだりといった、他の民族にはみられない特殊な感覚を、私たち日本人は持っているからなのである。 それを解明してくれたのが、角田忠信博士の「日本人の脳の研究」である。
角田理論によると、日本人と西欧人とでは左右の脳の働きに違いがあり、感性に違いがでてくるということである。したがって、日本民族が創造し、そして育んだ音、音楽は西洋人とは異質のものなのである。
人間の脳は右と左に別れていて、それぞれの機能が異なっている。
左脳は言語脳といい、言葉や計算などの知的作業を分担する。これに対して右脳は音楽脳といって、非言語音を感覚的にとらえるのに優れている。
右耳は左脳、左耳は右脳という結びつきが主となるが、通常、音楽を聞いたり会話をしたりするとき、特に片耳だけが音楽や言葉に敏感であるということではない。どちらの耳からも両方の脳に通じているので、正常な耳の人ならば、はっきりした自覚は持たない。
当然、音楽は音楽脳で処理されるが、音楽を聴かせておいて言葉を聞かせると、脳は言語脳に切り替わってしまうのである。言葉を話したり聞いたりしているとき同時に音楽を聴いた場合、それぞれ別々の脳で処理されるのではなく、言語の情報の方が優先され、言語脳でとらえて処理されることになる。このことから左脳を優先脳という。
この脳の働きを日本人と西欧人で比較してみると、西欧人は虫や動物の声を音楽脳で処理する(言葉のように意味のあるものとしては受け取らない)のに対して、日本人は言語脳で処理する。また、西洋人は母音が音楽脳であるのに対して、日本人は言語脳で処理する。英文では、一般的に母音の役割はあまり重要でなく、母音を全部抹消してしまっても、子音だけで意味が十分に理解できるといわれている。しかし、日本語は母音で言葉を形成する部分が大きい言語であって、個々の母音(あ・い・う・え・お)がそれぞれ意味を持っているのである。このようなことが、日本人が母音を言語脳で処理する理由であるとされている。
虫や動物の声は、母音に非常に似ていることから、日本人はこれらの音を言語脳で聴いている。日本語の母音の特質が原点にあって虫の音ばかりではなく自然音なども左脳で聞いているのである。 三味線や尺八、笛、琵琶などの日本の伝統的な楽器は、日本人は言語脳で、西欧人は音楽脳で聴いている。しかし、バイオリンなどの西洋楽器は日本人でも音楽脳で処理している。 このように、日本人は永年にわたって母音文化を育てて来たわけで、左脳の使用過多であるため、西洋音楽を聴くことは左右の脳の機能を安定させる上で重要であるといえる。(八板賢二郎)
難聴の治療からコミュニケーションの研究へ
八板:先生は耳鼻科のお医者さんですが、このような脳の研究を始められたのは、どのようなことからですか。
角田:難聴の治療として鼓膜を作る手術法は、昭和20年代から始められていたのですが、30年代に入って初めて聴覚障害のリハビリテーションという概念が日本に入ってきたんです。そもそも日本では難聴の治療などが大変遅れていたのです。アメリカでは戦争中から戦傷による聴力障害者に対していろいろ研究していまして補聴器などはずいぶん進んでいました。
八板:それには何か理由があるのですか。
角田:戦争というのは、至近距離で爆発があったりして、とても騒々しいですね。それで難聴になる人が多かったんです。日本では手や足を切断したとかいう場合は戦傷者として扱っても、耳が聞こえないくらいでは傷害者ではなかったんですね。戦後30年代になって、やっと日本でも厚生省が難聴の人達のリハビリの施設を作って、そこで治療にあたっていたんですが、難聴ですからね、治らない人が多いんですよ。
八板:そうでしょうね。
角田:そこでコミュニケーションとか言葉の問題の研究の方に入っていったんです。それはもう難聴だけでなく、言語障害とか脳損傷とか、耳鼻科とは直接関係ないことも含まれているんですが、いろいろなケースにあたっていくうちに、実は正常な人のコミュニケーションとか言葉の状態がどうなっているのかということがわかっていないということに気がついたわけです。ちょうどその頃、アメリカへ行きまして、UCLAで左右の脳に違う情報を与えるという研究をやっていた人がいたんです。興味があったので文献を貰ってきて研究を始めたのです。 この研究を始めて20年になりますが、文化レベルによる差というところまでわかってきたのです。
日本人と西洋人で違う効果音の解釈
八板:私は、演劇も邦楽もわからずに歌舞伎の世界に入ってもう20年になりますが、最初に感じたのは日本の演劇には効果音がすごく多いということなのです。
角田:そうですね。多いです。
八板:虫の音とか、ウグイスの声とかいったものです。効果音を作るにしても、場面場面で全然違うわけです。静かな音とか寒そうな音とかを音で演技するのです。そういうことをしているのは、日本の演劇だけじゃないかと思っています。西洋の演劇の効果音は淡泊なんです。
角田:使い方が違いますね。西洋では虫の音などは、不気味な場面に使いますね。これから人を殺しに行くとかそんな時です。虫の音は気持ち悪いんじゃないですか。日本人みたいに楽しんだりするのではないですね。外国では環境音としてただ流れているだけですね 。
八板:外国人の解釈とは随分と違うようですね。日本の演劇では、雨音だけで1時間も芝居をすることもありますからね。
言葉中心の日本文化の世界
角田:効果音が言葉として伝わっているんですね。邦楽もそうでしょう。
八板:そうです。日本の音楽って言葉なんですね。言葉に合わせて楽器が発達してきているんです。
角田:おもしろいんですけど、母音というのはメロディーを作りますよね。その母音を識別する脳が左にあると、その民族の楽器を聴くのは脳も左なんです。日本人がそうです。西欧の人は母音を右で聴きますから、右脳的なハーモニックな楽器がちょうどマッチしているんです。 日本人の声楽家の声はどうなっているかというと、あれはハーモニックスを一杯つけるからちゃんと右にいくんですよ。普通に話しをしているときは違いますが。
八板:西洋のオペラを日本語でやった場合はどうなるんですかね。
角田:何かピンと来ないですね。異質なものなんじゃないですか。純粋に日本語で作れば良いんでしょうけどね。
八板:言葉が中心の文化なんですね。言葉から音を感じるとか、ものを作るとか。
角田:その場合の言葉も論理じゃないのです。音なのですね。
八板:狂言では効果音を言葉で言うんです。歌舞伎でも波の音などの効果音は太鼓で表現します。これは自然音をいったん擬声語にして、それから太鼓に置き換えているのですね。
角田:太鼓の音自体が左なんですよ。西洋のものはもっと澄んだ音がしますでしょ。あれ、音が全然違うんですよ。お寺の鐘などもそうですが、梵鐘なんかは完全に言葉ですね。伝統の楽器は、全部左脳で聞いています。
右脳の西洋音楽 左脳の日本音楽
八板:日本の伝統楽器を使って、西洋の音楽を演奏するというようなことはどうなのでしょうか。
角田:あれはどうも違和感を感じますね。楽器を変えていったら良いんじゃないですかね。ハーモニックスを増やすように変えていくのです。ハーモニックスの豊富さがだいぶ影響しているんですよ。日本の楽器は音が濁っていますからね、実験的にハーモニックな音を増やしてやると右脳で聞くようになりますから。
八板:日本のものはハーモニーがないんですよね。
角田:ないんですよ。演歌なんかでも歌い方が違います。
八板:コブシとかは母音の強調ですね。
角田:そうそう。
八板:その中に訴えるものが含まれているんですね。
角田:それから器楽曲はないですよね。全部声楽曲。
八板:そうです。三味線などは言葉の合間に心地よい間で入ってきますよ。
角田:だから洋楽器と一緒に演奏する場合は、合奏するよりも、分担を決めて交互に演奏するとかしたほうが良いみたいですね。
八板:最近、能にシンセサイザの演奏を入れてやったんですけど、一緒に演奏すると対立してしまうんです。能の囃子をずっと演奏していまして、それが終わったところへシンセサイザがスーッと入ってきますと、非常にリラックスして、とけるような感じで聞けます。
角田:全然違うものですからね。僕は、中国の人で調べてみたことがあるのですが、彼らは邦楽器が右へいくんですよ。それで、現在の中国の楽器を使って実験してみましたら、日本人にも中国人にもやはり右脳なのです。
外来楽器の性質を言葉にあわせて変える
八板:雅楽もそうですか。
角田:日本にある雅楽の音は日本人にとっては完全に左なんですよ。
八板:そうなんですよね。
角田:笙、篳篥も全部完全に左です。しかし、中国の楽団が使っている楽器は音が全然違うのですよ。中国で小沢征爾が琵琶協奏曲の指揮をしたことがあるのですが、僕はそれを聞いてびっくりしたんです。当然、琵琶がでてくるんですけど、形は琵琶なんですが、音が完全にマンドリンなのです。日本の琵琶の音ではないんですね。音楽の評論家の人たちが、そういうことを書いてくれないとか思っているんですけどねえ。
八板:洋楽関係の学者の人達もそうですけど、どうも日本の楽器というと、「全部が外国から来たものである」というところで終わってしまうのですね。その後、どのように変化したかというところまでいかないのです。
角田:そうそう、元々は中国を経て輸入したものだけれど、日本人の美意識が変えたのですよ。
八板:構造も演奏が変わっていますよね。
角田:その点、日本人は大したものですよ。言葉と合うように変えたのですから。母音と合うようにね。そういう意味では、西洋文化と共通ですよね。だけどそれがどうして、日本人が左脳で、西欧人が右脳かというようなことは、まだわからないんですよ。
八板:文化が違うというよりも先に、それを決めるものがどこにあるかということですか。
角田:そうです。私のやっている研究方法は無意識のレベルの情報処理を調べています。心理学は、言葉や文字で表して認識の過程を問題にしますが、そこでは差を捕えにくいのです。出てきてとしても、意識化した後のものですから本質的なものではないんですね。それが逆に、大脳皮質に達しない自動処理機構では、無意識の過程で奇麗に差が出てきたわけです。それはきっと文化のような曖昧なものは皮質下の一番感情的な部分が関与しているからだと思うんです。それが我々は左脳的なのですよ。
八板:左脳で創られてきた音楽や演劇が、今もあるということなんですね。
左脳中心の日本人にも大切な西洋音楽
角田:先ほどの能とシンセサイザの話しではないですけど、西洋楽器の音というのは、日本人にとって非常に有難いんじゃないですかね。今までになかった異質のもので、右脳的だから救いになってるのではないですか。
八板:日本人には右脳的なものを聞く能力はあるわけでしょう。
角田:西洋楽器の音は普遍性があるんです。だけど、日本の楽器の音を西欧人が聞くとどうなるのでしょうかね。
八板:違った感覚でとらえるのでしょうね。
角田:本人が判ったと言っていても、違うとらえ方をしているかもしれませんね。
八板:以前、能をフランスで上演したとき、あちらの前衛音楽家が、能の囃子を聞いて、これから目指そうとしている音楽が、日本にはすでにあったのだと感激したそうです。
角田:西洋の宗教家が来て、この脳の話しを非常にうらやましがるんですよ。というのは、自然と感情と知性が一体になっているというのは、人間の理想だというんですね。日本人は一番理想的な頭を持っているに違いないという人もいますが、私はこの差に価値観を持たせて、どちらが良いか悪いかという点まで即断することはできないと思います。確かにそういう違いはあるんですけど、これは理性じゃなく、自動処理されてしまうからどうしようもないのです。頭で考えても駄目なんです。
左・右のスイッチングには周波数特性がある
八板:無意識なのですか。
角田:呼吸するとか、食事をするとか、考えないでやっていることってありますよね。そういう意識外のことなのでコントロールできないんです。たとえば、文化などというものは意識された後のものですから、それよりもっと動物的、植物的なものだと思うのです。面白いことに、これには周波数特性があるんです。100Hzから上の話言葉の主成分になる周波数帯域の自然の音では文化の差は出るんですが、99Hzから下では世界中の人は皆共通なんです。言葉の周波数の最低は、普通100Hzですから99Hz以下のところでは、地球上の生物が皆共通なのではないかと思うんです。ひょっとしてその99Hz以下の部分でなんらかの手段があれば、植物などともコミュニケーションできるのではないかと思っているんですけどね。
八板:地球上のすべての生物が。
角田:左右の脳の切替えを行っているスイッチが磁気と関係があるようなんです。地球自体が大きな磁石ですからね、地球の状況や月齢などの関係で、このセンサーが乱れるんです。
八板:それで、地球上の生物はすべて影響を受けているはずで、それは99Hz以下の部分ではないかということですね。
角田:そう思うんですけどね。それで、センサーが乱れて右と左の脳が入れ替わると非常に気分が悪いんです。音楽なども奇麗に聞こえないんですよ。意識レベルではないですから、慣れてしまって案外気がつかないかもしれませんけど。動物的な部分ですからね。芸術家の修業なんていうのは、それをうまく無意識レベルで使えるようにするためなんじゃないですか。たとえば、米粒に絵を描くとかありますよね、医学的には不可能なんですよ。それをどういうふうにやるのか知らないけど、やっているっていうのは何かそういう力ではないかと思いますね。
八板:私たちも仕事をしているとき、虫の音なんか聞こえたらもう録音なんかできませんよね。ヨーロッパの古い音楽ホールの録音ルームなどは、防音装置も何もないですからね。彼らは、そこで録音するのは平気ですよ。
角田:そう、日本人はクシャミとかアクビでも、聞こえたらもうダメですね。
八板:それも日本人の聴覚の特徴なんですね。
外国語の影響
角田:それからね、日本人は英語を使っていると、本来は右脳的な純音と同じなのに、左にいってしまうんです。
八板:左に傾いちゃうわけですか。
角田 そうです。外国へ行っている間は、本来は右にあったものが全部左脳に寄ってしまうんですよ。それで、非常に気分が悪い、頭痛がする。よく外国のホールは音が良いといいますけど、そういう状態の時に右脳的な音楽を聞くと非常に良くきこえるんですよ。
八板:奇麗に聞こえる。
角田:ちょうど喉が乾いた時に水を飲むようなものでね、私たちが音楽に飢えているときに西欧の音楽ホールで聞くから、良く聞こえる。もちろんホールも良いんでしょうが、そういう付加的な条件もあるんじゃないですか。
八板:左脳が疲れるときは右脳を使うと良いということですね。
角田:昔の日本人よりも今の人は、年をとっても顔が若いでしょ。あれは洋楽を聴いてリラックスするせいじゃないですかね。
八板:三味線を聴いた後で、西洋音楽を聴くと気持ちいいですものね。
角田:ある同時通訳をやっている人が、通訳をやって家に帰ると、家族が三味線を弾いている。それを聴くと頭を叩かれるようだって言ってますね。同時通訳をやると、頭にコブができるようだっていいますけど、外国へ行くとそういう感じがしますよね。
八板:元に戻すのには西洋音楽が良いわけですね。
角田:2週間外国へ行くと、帰国してから1週間は、左に寄ったままなのです。8日目くらいから戻るんですけど、戻ってもしばらくは創作活動ができないんです。外国にいて困るのは、言葉がダメな上にカンが働かなくなるんです。日本人はバカみたいになりますよ。まず、道に迷うんです。方向とか、感覚の方の脳がダメになっちゃってますからね。僕は外国へ行くと方向オンチになります。それから、会議をやっても頭が全然働かないんです。カンが鈍っちゃって、言葉が分からない上に、発想が貧困になるんです。だから回答が必要なものは、資料を貰ってホテルへ帰ってから良く読んで、それから翌日返事をするようにしているんです。日本人は一番ダメになっちゃうんですよ。
八板:ワンクッションおかないとダメなんですね。
角田:判断ができないんですよ。だから日本人の外交官とかは大変でしょうねえ。大変なハンディですよ。日本の指導者も重要な交渉のときは英語を使わない方が良いですね。有能な通訳を大勢連れていって、日本語でよく考えてやったほうが良い。
八板:その方が判断を間違えない。
角田:間違えないですね。
西洋語の子音 日本語の母音
八板:私たちはマイクやスピーカを扱っているんですが、外国の人達は子音が強調されるような調整をするのです。その同じスピーカで日本人の声を出すと、明瞭度が落ちてしまうんです。それはやはり子音ばかりでなく母音も重要な役割をしているということですかね。
角田:はっきりわかりませんけど、確かに違うかもしれませんね。私たちが英語を話すときも子音は弱いですね。よく、電車の中などで外国人が喋っているとシッとかシュっとか言う音しか聞こえてこないですね。我々はああいう音は出さないです。
八板:むしろ、ああいう音は嫌ですね。彼らはああいう音を強調しないと伝わらないのでしょうかね。
角田:それとは逆に、ある会社の外国の支社での話しですが、日本語以外の人達が話しているのは気にならないけど、日本人が日本の会社の人と話しだすと耳を覆いたいくらい嫌だって言ってましたね。
八板:外国から来たミュージシャンのコンサートでは、子音が強調されたスピーカチューニングをしています。彼らがそれでやっているのはいいけど、日本語をそういう音質で出すと聴きにくいですね。
音楽の楽しみは豊かな気持から
角田:それはそうでしょうね。お父さんが音楽家で、子供の時から音楽の教育を受けた人が、日本の音楽番組の中で、一番良いのは日本人が日本の歌を歌っている番組だと言ってました。何も分からないけれど自然で良い。だけど、西洋の歌を歌うとおかしいと盛んに言ってました。
八板:そうでしょうね。
角田:楽しくないんですって。それと、最近特に感じるんですが、音楽っていうのは、空腹ではダメなんですね。以前は音楽会の開演が6時だったでしょう。食事をしている時間がなかったんです。最近は7時開演になりましたけど、それでもなかなか難しい。だけど食事をしないで音楽会へ行こうもんなら悲惨ですよ。全然音が奇麗に聞こえないんです。しかし、食事をして行くと美しい音色に聞こえる。血糖値が下がっちゃうとダメみたいです。
八板:やっぱり音楽は食事をした後、ゆったりとした気分で聞かなければいけないのですね。
角田:ゆったりと満ち足りていないとね。
八板:それにしても、日本人は食事時間が短い(笑)。私たちもそのあたりを、少し改善しないといけないのかもしれませんね。