演劇興行の経済的影響力
市川 錦次郎
(日本演劇興行協会事務局長)
私の机上に演劇興行についての歴史的ともいえる見解を記した報告書がある。
ひとつは、東京都の「文化都市ビジョン」に掲載された文化庁の「文化の経済効果に関する調査研究」からの概要、ひとつは当協会が調査事業の一環として報告した「ウエストエンドの経済的影響力」である。
このふたつの報告書に共通しているテーマは、文化的価値、すなわち「経済的な効果」のほかに、高い「経済的な効果」を併せ持っているとの見解を明らかにしたもので、これまで隠れていた演劇興行の持っている影響力を公に認識されたことに意義がある。
これまでの演劇業界は、映画のように全国的な、またアメリカ映画のように世界的な広がりを持つ映画業界と違って演劇はその性格上、一地域の一劇場でしか公演が出来ないという制約があることから、演劇興行が持っている潜在的経済力、つまり劇場が公演することによって連動する多種にわたる関連業界から生じる総合的経済力ということに関心を示さなかったのである。
この理由はなんといっても映画産業という区分はあっても、演劇・劇場産業という分類がなかったことがひとつと、演劇は一劇場の収入の上限は決まっていることから、当事者の関心は上演される舞台の芸術的完成度、批評家の評価、観客の反応等、経済的見地より芸術上の観点に重点をおいてきたことにある。
しかし、日々劇場運営に携わる側から、個々の劇場を集約して、演劇劇場をひとつの経済的勢力としてみた時、ウエストエンドにある劇場全体でどのくらいの規模の経済的活動があるのか、これを数字で捉えようと試みたのが、ロンドン、ウエストエンドにあるロンドン劇場協会である。同協会がウエストエンドにある50近い劇場を対象に調査した報告書が画期的なのは、これまで芸術文化の観点からのみ評価されてきた演劇を、具体的な数字をもって経済的視点から捉え、「劇場産業」という分野を確立しようとしたことと、舞台芸術が芸術文化の向上という理念に加えて、都市の経済活動に大きく貢献している事実を示したことにある。
では演劇興行の経済的潜在力とは何かといえば、次の通りである。
劇場が公演を行えば、そこから各種の経済活動が発生する。
まず観客の支払う入場料金の売上があり、観客が劇場へ移動する中で支払う交通費、飲食代、筋書き、お土産、地方からの観客のホテル代、劇場近辺の商店での買い物等から発生するサービス業等への消費は相当な額に達する。
雇用についてみると劇場が活動するということは、これに繋がる二次的な仕事があるということである。劇場は人の産業であり、公演はみな生きた創造であるから、舞台表、舞台裏双方にたくさんの人がかかわっている。劇場によって生まれる雇用、つまり劇場に依存している職種は実に多くある。
劇場が直接雇用する者は、俳優、演出家、装置家、作家、音楽家、プロダクションマネージャー、照明、音響エンジニア、プロデューサー、劇場に所属する支配人、営業、セールス、会計、劇場事務員、宣伝部、保全係、清掃員等々。
劇場に関係する会社は、大道具、小道具、衣裳等の専門会社、都民劇場ほか各種の観賞団体との職員、ピアをはじめとするチケット販売代理店とその職員、劇場プログラムを製作するデザイン・印刷会社、食堂、喫茶、お土産販売会社、法律事務所、会計士等々。
劇場関係者から収益をあげる分野として、ホテル、レストラン、喫茶店、近辺の商店、タクシー、バス、地下鉄、電車、観光会社等々、劇場公演に依存する直接、間接の雇用者数の実数は把握できないが、これらから発生する総費用はかなりの数字になることは間違いない。
そして劇場の公演によって生じる入場券売上や関連する多種の業者の所得は、所得税、消費税、法人税等の重要な税金を生み出し、国への大きな役割を果たしていることも注目すべきである。
こうしてみると演劇劇場は数多くの職種と多種にわたる安定した会社で成り立つ、ひとつの経済的原動力であることを理解されよう。演劇が都市の活性化と経済効果に大きな役割を果たした適切な事例は、ニューヨーク・ブロードウェイに見ることができる。ニューヨーク市が1970年代、不況と人心の荒廃によって都市の魅力を失い、財政的危機とあいまって深刻に事態に追いこまれた時期に、市が救済策のひとつとして世界で有数のブロードウェイの演劇によって観光客誘致の手段とすることを考え、演劇をあらゆる側面から援助する目的でTDF(演劇振興基金)を創設し、TKTS(当日券半額売場)、TAP(身体障害者の観劇補助)その他の助成事業を積極的に実施した結果、年々、観光客も増加し、ニューヨークは再び活気を取り戻しはことは良く知られている。
ロンドン・ツーリスト・レポートによると、ロンドンにくるすべての訪問客の35%は人々が、文化・芸術を目的としているという。このふたつの都市の現象は、演劇はたくさんの人を都市に吸収し、都市に活性化をもたらす魅力的な芸術であることを物語っている。
【社団法人 日本演劇興行協会会報・No.21 2001年12月発行から転載】