八板賢二郎
(国立劇場)
第1項 能と狂言
能は、歌と舞による音楽劇である。主として物語や伝説を題材にしている。主役のシテは基本的に仮面を着け、この面をオモテと呼ぶ。伴奏音楽として、囃子(はやし)と地謠(じうたい)がある。
狂言はセリフと仕草による劇で、主として日常の出来事を題材としている。原則として仮面は着けない。また、伴奏音楽も基本的に必要としないが、謠・囃子・舞が入ることもある。
このように形態の違うものが、能舞台という同一の舞台で演じられる。能舞台は、約591cmの正方形(京間・三間四方)で、四隅に「シテ柱」「目付柱(めつけばしら)」「笛柱」「脇柱(わきばしら=大臣柱)」という柱がある。舞台には、役者が登場するための「橋掛り(はしがかり)」という通路が付いている。橋掛りは、舞台の一部としても用いられる。観客席は「見所(けんしょ)」といい、正面席と脇正面席、中正面席がある。
本来能舞台は屋外にあったが、屋内に設備したのが能楽堂である。なお、能舞台に上がるときは、舞台床を保護するために、白足袋を着用することになっている。
▲【図1 能舞台】
能舞台には、観客席との間に幕がない。背景などの舞台装置は使用せず、演目によっては簡単な作り物(舟や小屋など簡単な道具)を使用する。そのため、最初に登場する人物は、自分の名前を名乗ってから、状況を説明する。これを「名ノリ」と称し、【図1】の(5)常座(じょうざ=名ノリ座またはシテ座)と呼ぶ位置で演ずる。そして、情景は役者のセリフや仕草で表現する。
能と狂言は、このような素朴な舞台で背景や舞台装置の助けを借りないで、主として人間の身体だけで表現する劇である。
14世紀から15世紀にかけて、近畿地方の神社や寺で演じていた芸能が、能の始まりである。その中で、観世清次(観阿弥/かんあみ)と観世元清(世阿弥/せあみ)の親子の芸が、将軍足利義満に認められたのがきっかけで、現在の能の基礎が作られた。
狂言は、世阿弥の時代から能と能の間に演じられていた。狂言の役者は、狂言を演じるだけでなく、能の中のアイという役も担当する。
流派は観世、宝生、金春、金剛、喜多の五流がある。
狂言の流派は、大蔵と和泉である。
能は、セリフの部分を担当する謠(うたい)と、器楽演奏を担当する囃子によって演じる音楽劇である。地謡は、舞台の右側【図1】の(1)地謡座に、二列に並んだ8人の声楽の集団である。地謡は、主題の説明や劇の筋運び、情景描写、時間経過を述べたり、役の代弁をしたりする。地謡の後列中央には、地頭(じがしら)という主席がいて、他の7人をリードする。囃子は、太鼓、大鼓、小鼓、笛の4人編成で、舞台正面の奥【図1】の(2)囃子座に左から太鼓、大鼓、小鼓、笛の順に並んで演奏する。演目によっては、太鼓が加わらないこともある。
舞台の左の奥【図1】の(3)後見座で、ここに二人の後見(こうけん)が控えている。後見は、作り物(道具)を出したり片付けたり、扮装の乱れを直したり、終始、演技に支障のないようにサポートする役である。後見と地頭はシテと同格、またはそれ以上の能力を持つ演者が勤める。
能や狂言の主役のことをシテと呼ぶ。通常、能は二つの場面に分れていて、前半の役を前シテ(まえじて)、後半の役を後シテ(のちじて)といい、例外はあるが、一人の演者が扮する。
前半を省略して演じることもあるが、その場合を半能(はんのう)という。
脇役を勤めるのがワキである。前半と後半の間に登場する役は、狂言が担当するアイ(間)である。
【図1】の(4)はアイ座または狂言座と呼び、アイが出番を待つ場所で、ここに控えているときは、未だ登場していないことになる。
能はシテ方、ワキ方、囃子方、狂言方というグループが分れている。シテ方は、シテ、ツレ、トモ、子役、地謡、後見の役がある。
狂言も、主役のことをシテといい、相手役をアドという。
能は、舞台に何もない状態から開始する。揚幕の裏で行われる「お調べ」が終ると、後見によって作り物が橋掛かりを通って舞台に運ばれる。作り物が設置されると、「囃子方」が揚幕から登場して囃子座に、続いて地謡の連中が切戸口から登場して地謡座に座る。そして、お囃子の演奏で能が開始される。
演じ終ると、演者はゆっくりと橋掛かりから退場する。続いて、作り物を片付け、囃子方が退場し、地謡が退場して一つの能が終了する。
第2項 能と狂言で使用することばの解説
第3項 薪能の音響デザイン
能楽堂で演じる能は、すべて生でやるのが原則ある。生で上演するための観客席数は、700席が限界である。能は、ことばを重視した芸能であるから、残響時間は1秒程度が適している。
劇場やホールで上演するとき、会場が広い場合は、吊りマイクや舞台端に設置したマイクで全体を収音してSRすることもある。
野外で行われる薪能は、必要に応じて要所要所にマイクを仕込んだり、演者にワイヤレスマイクを装着したりしてSRする。ワイヤレスマイクは、演者が横を向いても、後ろを向いても音量が変化しないので、セリフが平板になることから、これを嫌う演者もいる。
能のSRは、原則的に生で行っているようにみせる。そのためには、レベル設定と音質に注意を払い、音響機材は観客席から見えないようにすべきである。
能は元来、野外で行われていて、それほど広くない会場で静寂を保てるならばSRを必要としない。しかし薪能では、観客席数が多いばかりでなく車の走行音、すだく虫の声、蝉時雨などが騒音となって、セリフの邪魔をするのでSRを必要とする。
【図2】は、薪能の基本的な仕込み図である。マイクは、野外なので風雑音を考慮して、無指向性マイクの使用とウインドスクリーンの装着を考える。セリフを収音するのはBLMとワイヤレスマイクを併用する。橋掛かりもBLMを使用すると音質が合うが、舞台床にBLMを設置すると装束の裾でマイクを擦って雑音を発するので、無指向性のピンマイクを手摺りまたは一ノ松に取り付けて収音することがある。ピンマイクを手摺りに取り付ける場合も、装束が触れないように工夫する。
薪能は橋掛かりが短いことが多いので、一ノ松のあたりに無指向性のマイクを仕込むと橋掛かり全体を収音できる。
▲一ノ松にBLM
また、橋掛かりのセリフは本舞台よりも「遠く」なるように設定すると立体感が出て自然であり、揚幕の方に行くに連れて音も徐々に遠ざけると遠近感が出て能の演出上、好ましい。橋掛かりのマイクは、頻繁に使用しないので必要なときだけフェーダを上げるようにする。揚幕の内側で言うセリフもあるが、観客が音の方向を見失うので、このときはできるだけ生の音にして、音の方向をはっきりさせる。
【図2 薪能の基本的な仕込み図】
シテ柱のBLMは、「名ノリ」用である。このセリフは重要であるが余り近づけすぎないようにして、正面のBLMと調和するさせるために距離を保つとバランスが良くなる。このマイクも、必要なときだけフェーダを上げる。
正面のBLMは、セリフ以外に囃子の音を収音するためのものでもある。常時、既定のレベルで収音しておくメインマイクと考える。
▲階(きざはし)のマイク
単一指向性のマイクを用いたBLMは、風雑音が多いので、ウインドスクリーンは欠かせない。BLMのウインドスクリーンには、床の色に近い茶色のストッキングを使用すると目立たなくてよい。
地謡は、前列と後列の4人に1個の無指向性BLMを設置する。このように設置すると地頭の声を中心に収音でき、全体にバランスよく収音できる。ショップスのBLM-03Cを使用すると生々しい音で収音できる。BLM-03Cを使用すれば、無指向性なのでウインドスクリーンは必要ない。地謡のマイクの出し入れは、地謡の方に手伝ってくれるよう事前にお願いしておいて、舞台に登場したときに音響スタッフが背後からマイクを差し伸べて設置する。
セリフの収音にワイヤレスマイクを使用することがある。ワイヤレスマイクを使用すると後を向いたときも音質の変化がないため平板な音になるので、オフマイク(BLMなど)と併用すると立体感が保てる。ワイヤレスマイクの装着は、マイクとクリップ部分が見えないように、装束の裏側に隠す。送信機も見えないように装束の中に隠す。シテの場合は、後シテの着替え(物着/ものぎ)があるので、内側の胴衣に装着すると手間が省ける。ともすれば、マイクヘッドを表に出そうとする傾向にあるが、能役者の声はマイクが衣裳に隠れても十分に収音できる。また、装束と擦れる雑音などを避けるため、使用するマイクヘッドは必ず無指向性を使用する。
シテは、面を着けているので音声がこもるが、この音はシテ特有のものなので、音質を調整しないほうが逆に幽玄的である。面の中で共鳴した声は図太く、力強く観客に訴えてくる。
鏡の間に設置するマイクは、「お調べ」を収音するためのマイクである。「お調べ」はチューニングとして扱うならばSRする必要はなく、ごみ鎮めとして用いるならば橋掛かりのマイクを使って、わずかにSRすればよい。「お調べ」を開演ベル(2ベル)として扱うときは、笛の横に高いスタンドでマイクを設置し、太鼓を狙って収音すればバランスよく収音できる。このマイクを設置するときは、揚幕の上げ下げの邪魔にならないように、また幕が揚がったとき観客席から見えないように注意する。
スピーカは、BOSE社の502A(または402)のような小型のコラムスピーカを使用する。コラムスピーカから送出される音は、円筒波なので距離減衰が低く、ハウリングも起こしにくい。またコラムスピーカは、再生周波数は低音域が不足しているが、邦楽器は低音をそれほど必要としないので、音声を明瞭に再生できるスピースが適しているので、小鼓などは生々しく再生できる。
スピーカは、「鏡の間の前」と「脇柱の横」に設置する。
「中正面席」のために目付柱の前に舞台床面によりも低く補助スピーカを設置することもあるが、中正面の前部の観客席は生の音で十分なので、必ずしも必要ではない。スピーカは、舞台の中央の位置からの生の音との時間差を補整して、ハース効果を活用すれば、音像を演者に設定できる。
▲補助スピーカ
薪を燃やすと風が巻くことがある。風で火の粉が飛び、スピーカを焦がすこともある。風でマイクケーブルが揺れてBLMを飛ばすこともある。しっかりとケーブルを固定して風の影響を受けないようにする。また、スピーカを三脚に取り付けた場合は、風で倒れないように、三脚の足に砂袋などのウエイトを乗せて安定させる。
さて、能が開演して囃子の演奏が始まったら、まず正面のマイクで囃子のレベルを心地よいレベルに設定する。通常は囃子の演奏に続いて、地謡になる場合、ワキが一人で登場してシテ柱の前でセリフをいう場合、ワキが2〜3名登場して舞台の中央で向き合ってセリフをいう場合がある。
マイクチェックをするときは、会場の雰囲気を考えて、チェックに用いる言葉に注意をする。音響技術者の音声でレベルチェックをすると、声が弱いため音量不足のように感じることがあるが、能役者の訓練された音声はかなり強いので十分である。
【図3 音響システムの基本系統図例】
【八板 賢二郎(ザ・ゴールドエンジン/1級音響技術者)】